パリ郊外で生まれたニキ。若い頃はモデルとしても活動し、「エル」や「ヴォーグ」の表紙も飾っています。
19歳で結婚して二人の子どもに恵まれますが、精神的に不安定になり入院。創作活動は、治療活動の一環として始めたものでした。デュビュッフェ、ポロック、ラウシェンバーグなどの作品から刺激を受けて、徐々に自分の創作スタイルを固めていきます。
1960年には家族から離れたニキ。その名を一躍世界に知らしめたのが1961年に発表された「射撃絵画」です。絵具を入れた缶や袋を石膏で画面に付着させ、それを銃で撃つ事で完成させる射撃絵画。世間に強いインパクトを与えたその制作スタイルは、会場では映像でも見る事ができます。
1章「アンファン・テリブル ─ 反抗するアーティスト」続いてニキが創作の主題としたのが「女性」。家父長制の強い家庭で育ったニキは、幼い頃に実父から性的虐待を受けた事もあり、「女」である事を常に意識していました。
60年代初頭の作品には、四肢が欠けるなど被虐的な女性像が多く見られますが、その表現は徐々に変化。友人の妊娠を機に制作が始まった「ナナ」シリーズは、ふくよかな肢体がカラフルに彩られ、明るく開放的なイメージに満ちています。
ちなみに「ナナ」という名はニキにとって特別な由来は無く、フランス語で「娘」を意味するスラングとして用いたものです。
2章「女たちという問題」男女関係も、ニキにとって大きなテーマのひとつ。人生の伴侶となったスイス人彫刻家のジャン・ティンゲリーや、父親に対する愛憎交わる思いをぶつけた作品も並びます。
会場の中ほどには、日本との関係に着目した章も。1980年からニキの作品を収集し始めた日本人女性の増田静江は、自社ビルにニキの作品を紹介するスペースを開設。後にニキ美術館まで開設しました(現在は閉館)。増田は、フランス語で発音しやすい「ヨーコ」と名乗って、ニキ自身とも親しく交流。日本におけるニキ作品の紹介に大きく貢献しています。
3章「あるカップル」 / 4章「ニキとヨーコ ─ 日本との出会い」感受性が豊かだったニキは、生涯を通じて精神世界にも興味を持っていました。ヒンドゥー教のガネーシャのかたちをしたランプや、中央アメリカのトーテム像のシリーズなど、神々を象徴する作品も数多く手掛けています。
ヨーコの招きで98年に初来日した際には、京都の寺院で仏像を見学。帰国後に、色ガラスを用いた高さ3メートルを超える巨大な《ブッダ》を制作しました。この作品は、会場での撮影も可能です。
5章「精神世界へ」ニキの最も重要な作品といえるのが、巨大な彫刻庭園「タロット・ガーデン」。アントニ・ガウディによるグエル公園からインスピレーションを受け、1979年から彫刻庭園の建設に乗り出します。
香水の製作や家具や花瓶のシリーズを作って資金を調達し、庭園にはタロット占いに用いられる22枚のカードを表現した彫刻群を設置。一番大きな彫刻《女帝》は内部に寝室やキッチン・アトリエも設けられ、ニキはその内部で生活しました。
「タロット・ガーデン」はイタリア・トスカーナ地方にありますが、どの旅行ガイドにも掲載されていません。4月から10月の間で一日に数時間開園されるのみと、ニキからの指示で万全の保全体制がとられています。
6章「タロット・ガーデン」会期中の10月29日(木)は、ニキの誕生日。会場の国立新美術館ではこの日を含む一週間(10月24日~10月30日)は「ニキ・ウィーク」と題し、さまざまなイベントが開催される予定です。詳しくは
公式サイトで順次発表されます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年9月17日 ]