町人文化が発展した文化・文政期(1804年-1830年)、浮世絵の世界では歌川派が躍進していました。国芳が師事していた歌川豊国の門下は国貞(三代豊国)をはじめ、国丸、国直、国安と逸材が多く、これといった特徴が無い絵師は日の目を浴びる事がありませんでした。
今となっては意外ですが、国芳も不遇をかこっていた一人。20代の作品は少なく、ほぼ無名だったと思われます。
そんな国芳をスターダムにのし上げたのが、30代で発表した《通俗水滸伝 豪傑百八人之一個(壹人)》(以下《通俗水滸伝》)シリーズです。世間からはじき出された108人の豪傑たちが梁山泊に集まり、悪徳官吏に立ち向かうという中国ゆかりの水滸伝は、この時期にいくつかの版本が出版されるなど、江戸でブームになっていました。
国芳は一人一人の豪傑を、それぞれの特徴を強調して描写。キャラが立った国芳の水滸伝は大評判となり、最終的には74点という大規模な揃物になりました。
第1章「《通俗水滸伝豪傑百八人之一個(壱人)》勢揃」ある作品がヒットすると、関連作品が作られるのは昔も今も同じです。最初のシリーズは大判サイズでしたが、やや小型の中判、さらにちいさな小判シリーズも制作。新書版のヒットを受けて、文庫版が出版されたという事になります。
別の形態として、豪傑たちを1枚に9人づつ描いた作品も制作。豪傑を情けない姿で表現したパロディ版や、豪傑全員を描いたすごろくなども作られました。
第2章「水滸伝世界の広がり ─ 多彩なヒーロー像」「水滸伝」の呼称が広まった事から、日本の武将や英雄を描いたシリーズや、日本の美人を豪傑に見立てたシリーズまで「水滸伝」を冠して出版されています。
《本朝水滸伝》には、戦国時代の武将や牛若丸など古典軍記物に登場するおなじみの武者のほか、当時流行していた「南総里見八犬伝」に出ている人物も登場。《風俗女水滸伝》には遊女や町娘などが描かれています。
第3章「《本朝水滸伝豪傑(剛勇)八百人一個》と《風俗女水滸伝》」水滸伝は版本にもなっています。《通俗水滸伝》の発表から間もなく『稗史(えほん)水滸伝』が刊行。挿絵はもちろん、トップ絵師の仲間入りを果たしていた国芳です。
第4章「版本」キラーコンテンツを得て、ついに世に出た国芳。当時の大スターである歌川国貞(三代豊国)に追いつき、《東海道五拾三次》の歌川広重とともに、幕末には「豊国にかほ(似顔=人物画) 国芳むしや(武者) 広重めいしよ(名所)」と称されるまでになります。
国芳をスターダムに押し上げた《通俗水滸伝》ですが、まとめて紹介されるのは1979年以来、なんと37年ぶり。確認されている74点のうち73点が前後期で展示されます(残る1点も図録には収録されています)。2回目鑑賞で200円引きの割引サービスも実施中です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年9月2日 ]■国芳ヒーローズ に関するツイート