最初の人間国宝 石黒宗麿のすべて

一窯焚いても、売るのは4~5個

1955(昭和30)年にはじまった、重要無形文化財保持者(人間国宝)制度。初回は陶芸分野で4名が指定を受けており、富本憲吉、濱田庄司、荒川豊藏とともに指定されたのが石黒宗麿(1893-1968)です。東京での開催は19年ぶりとなる回顧展が、渋谷区立松濤美術館で開催中です。

  • 「黒釉」
  • 「磁州窯」
  • 「刷毛目」
  • 「柿釉」
  • 「唐津」
  • 「チョーク描」
  • 「彩瓷」
  • 「楽」
  • 「線刻」

石黒宗麿は富山生まれ。近年の研究で、私生児だった事が分かっています。生母は後に医師となる男性と結婚しますが、僅か1年で離婚。宗麿は父の元に残りますが、後添いとは折り合いが良くありませんでした。富山中学でストライキを企てて退学、慶應義塾普通部でも仕送りを遊びに使って中退と、後の創作にも繋がるような自由奔放な青春時代を過ごしています。

陶芸の道を志したのは、25歳になってから。現在は静嘉堂文庫美術館が所蔵する国宝の茶碗《曜変天目(稲葉天目)》を見て感銘を受けたため、と本人は語りますが、真偽のほどは定かではありません。いずれにしても、特定の師を持たずに陶芸の道に進んだ事は確かです。

会場


宗麿の生涯には、東洋陶磁研究の第一人者だった小山冨士夫が大きくかかわっています。35歳の時に京都で小山と出会った宗麿は、ともに唐・宋時代の古陶磁を研究。ここで宗麿はさまざまな陶芸の技法を体得していきます。

宗麿の作品で最も有名なのが、黒釉の茶碗や鉢など。人間国宝に認定されたのもこの技術です。試行錯誤の末に、1943(昭和18)年には《木葉天目》(黒釉地に木の葉を焼き付けた茶碗)の焼成に成功。長い間、幻とされていた技法を復興させた事により、宗麿の名は広く世に広まりました。

黒釉の作品


ただ、鉄釉だけに捉われないのが宗麿ならでは。本展は技法別の構成ですが、なんと全16章立てというスケールです。

勢いがある塗り跡が特徴的な「刷毛目」、釉薬に含まれた酸化鉄の発色によって茶色になる「柿釉」、現地に赴いて研鑽を積んだ「唐津」、鮮やかな釉上彩の色絵「宋赤絵」、西洋美術風の描写も見られる「線刻」、生涯の最期に取り組んだ「楽」と、一人で創ったとは思えない多彩な作品がずらり。さらに、制作にのぞむ姿勢や決意などを記した書画も展示されています。

16章構成の会場には、書画も紹介されています


多くの技法の中でもとりわけ珍しいのが「チョーク描」。陶磁器用絵具を棒状に固めたもので絵付けを行うもので、宗麿は戦後間もない時期からこの新技法に挑戦しました。フランス政府が主催した現代日本陶芸展に出品された大作《白地チョーク描薔薇文鉢》など、独創的な作品が並びます。

ちなみに「チョーク描」と命名したのも、小山冨士夫といわれています。

チョーク描の作品


「芸妓を身請けするために無断で叔父の土地を抵当に入れ、身受け披露の席から検挙・連行された」「窯主の後添いとの不倫が原因で、金沢から逃げるように京都へ」「祇園の一流茶屋を好み、身に着けるのも超一流。味にも喧しく、金が入ると湯水のように使う」など、豪快なエピソードも数多く伝わる宗麿。ただ、陶芸については一切の妥協は許さず、一窯焚いても売るのは4~5個という厳しさでした。

本展は東京が皮切りの全国巡回展。富山(富山県水墨美術館:2016年2月10日~3月27日)、茨城(茨城県陶芸美術館:4月16日~6月19日)、山口(山口県立萩美術館・浦上記念館:7月2日~8月28日)、岐阜(岐阜県現代陶芸美術館:9月17日~12月11日)の順にまわります。[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年12月7日 ]

評伝 石黒宗麿異端に徹す評伝 石黒宗麿異端に徹す

小野 公久 (著)

淡交社
¥ 1,944

 

ミュージアムの詳細

展覧会の詳細

会期

2015年12月8日(火)~2016年1月31日(日)