日本陶器(現・ノリタケカンパニーリミテド)、東洋陶器(現・TOTO)、日本碍子(現・日本ガイシ)などを創設し、日本の陶磁器産業の歴史にその名を残す大倉孫兵衛(1843-1921)・和親(1875-1955)親子。孫兵衛が人生の最終盤に手掛けたのが、大倉陶園です。
20世紀初頭は、世界の大国が威信をかけて競っていた時代。外交の舞台は戦場でもあり、国賓をもてなす晩餐会に、その国でつくられた洋食器を用いる事は当然でした。
ただ、当時の日本の窯業はまだまだ貧弱。高級洋食器は海外メーカーで占められており、その現状を打破するのは陶磁器生産に関わる者の悲願でした。
大倉陶園が目指したのは「良きが上にも良き」ものづくり。創立理念として手記に孫兵衛が記したこの言葉は、大倉陶園のものづくりを象徴するキーワードといえます。
先行する名窯に水を開けられていた白生地を、約3年に及ぶ試行錯誤の末に開発。純白で強度に優れた白生地に、日本ならではの感性で加飾を施し、西洋とは異なる洋食器をつくりあげていきました。
1924年には第11回農商務省工芸展覧会に出品し、製品をはじめてお披露目。その質の高さは注目を集め、出品作の果物揃は皇后宮職御用品を拝命。秩父宮、朝香宮など各宮家からの御用命も増え、現在まで続くその地位を確立しました。
展覧会の目玉といえる、皇室ゆかりの「お誂え食器」は、会場2階に展示されています。
現在の天皇陛下(当時は徳仁親王殿下)が「お箸初めの儀」で使った食器は、愛らしいクマの姿を岡染め(おかぞめ)で描きました。釉上に絵を施し再び焼成する岡染めは、大倉陶園を象徴する加飾技法です。
大倉陶園の歩みは、日本における洋風文化の広まりとちょうど重なります。上流階級に洋食器が定着したのが1930年代。大倉陶園は百貨店での販売会を通じて、一般にも質の高い洋食器を広めていきました。
外国の要人の目に触れる場に、大倉陶園の洋食器はたびたび登場します。箱根の富士屋ホテルや奈良ホテルなど、老舗のホテルにも納入。現在でも北海道洞爺湖サミット(2008年)、伊勢志摩サミット(2016年)でも用いられるなど、重要な交流の場に大倉陶園の洋食器は欠かせません。
展覧会は東京展からスタート。岐阜県現代陶芸美術館(8/10~11/14)、細見美術館(2020年 1/14~3/29)と巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年6月7日 ]
※会期中に一部、展示替えがあります。