近年は人気沸騰といえる歌川国芳や、役者絵で絶大な支持を集めた歌川国貞(三代豊国)。彼らを育てたのが初代豊国です。
それほどの浮世絵師でありながら、近代になって評価が確立した東洲斎写楽と比べると、やや分が悪い豊国。意外にも、全体像を俯瞰した展覧会は開かれていませんでした。
今回は役者絵、美人画、戯画、版本など、画業全般を幅広く紹介します。
会場の畳のスペースは、例によって肉筆画。豊国の画業の中心は錦絵や版本ですが、少なからず質の高い肉筆画も描いています。今回は6点を展示、豊国が得意とした役者絵の肉筆画もあります。
豊国は10代半ばで歌川豊春に入門しました。初期の美人画を見ると、鳥居清長や北尾派などいろいろな画風の影響を受けており、安定しません。歌麿風を基調とした独自の表現が見られるのは、寛政4〜5年(1792〜1793)頃からです。
豊国をスターダムに押し上げたのは、「役者舞台之姿絵」シリーズです。鼠潰しの背景に見得の瞬間を巧みに描き、大評判となりました。版元は芝の和泉屋市兵衛と、どちらかといえば中堅業者ですが、これに対抗したのが超大手出版社である日本橋の蔦屋重三郎。写楽に描かせた黒雲母摺の大首絵は、完全に豊国を意識したシリーズです。
両者の争いに大ベテランの勝川春英も加わり、三つ巴の役者絵対決になりましたが、デフォルメし過ぎの写楽は不人気、春英も後に役者絵から撤退し、最終的な勝者は豊国でした。
文化期(1804〜18)には、読本や合巻の挿絵も手がけるようになります。別の浮世絵師から豊国に挿絵が変わると評判になるなど、実力を存分に発揮。特に文化前期には、北斎と競うほどの人気を誇っていました。
豊国の一番弟子といえる国貞は、真面目な正統派。一方、武者や戯画で知られる国芳は、かなり破天荒な人物でした。どちらとも上手く付き合い、それぞれの個性を活かした浮世絵師として育てあげた力量は、豊国ならではの懐の深さといえるでしょう。
なお、太田記念美術館では「秋の歌川派フェスタ」と銘打ち、歌川派の展覧会を三連続で開催。本展は第1弾で、第2弾「歌川国芳 ―父の画業と娘たち」(10/4~10/27)、第3弾「ラスト・ウキヨエ 浮世絵を継ぐ者たち ―悳俊彦コレクション」(11/2~12/22)と続きます。
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[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年9月2日 ]