中国江西省東北部の景徳鎮地区は、豊富な白色粘土(陶土)--カオリンや磁器原料である陶石に恵まれ、昌江から長江に通じる水運の便を利して、唐末五代(10世紀)から窯業生産が開始されました。ついで宋代(10世紀後期~13世紀中期)には白磁・青白磁(影青)の産地として飛躍的に発展し、格調高い“宋磁”の一角を担いました。またとくに、13世紀末以降、景徳鎮磁器が元・明・清各王朝の宮廷の御用(官窯)器となったため、さらに飛躍的な技術革新がなされ、その白磁・青花(染付)・色絵は世界的な名声を確立しました。同時に、明代後半から清代にかけて(16~18世紀)の中国経済の発展と、官窯で磨かれた技術をもって、景徳鎮の手工業者--民窯の生産力の拡大と、その製品の工芸美術としての発展がうながされ、国内の他の窯を圧倒、中国最大の窯業生産地となりました。歴代の景徳鎮磁器は、中国国内はもとより、輸出により世界各国の窯業に大きな影響を与えています。
この間景徳鎮は、一窯業村から出発し、やがて陶磁器の商取引が盛んになり、人々が集まり始めて市が立ち、商店・住居ができて小商業都市--鎮が形成されました。北宋初期には窯業とともに大きく発展し始め、第3代真宗趙恒の時に鎮名に「景徳」を与えられます。「景徳鎮」となってますます発展し、明代には「四時雷電鎮」と呼ばれるほど、日夜炎と煙が立ち上っており、上級の行政区画--浮梁県より繁華な都市になりました。今日では、周囲の市や県を従えた大行政区として「景徳鎮市」が置かれています。