1920年代後半の細密に描かれた「パン籠」のように、古典主義的傾向を持った作品群(「ラファエロ風の首をした自画像」、「カタルーニャのパン」、「自らの栄光の中でマルガリータ王女を描くベラスケス」など)は、彼が賛美するラファエロやベラスケス、あるいはスルバランといった過去の画家、さらにはミケランジェロたちの表現に着想を得ている。これらの作品は、そこからいかに自分の方法論による新たな表現世界を提示できるかを示そうとしたものである。
また、「早春の日々」のような作品群は、精神の内的領域が単なる現実の物質的理解よりも無限に見返りがあり、それこそが「現実」であるというシュールレアリスムの支配的な考えの一つに基づいている。その考えから「パラノイアック・クリティック(偏執狂的批判的)」な方法も生み出された。例えば、「子供-女の記憶」や「ミレーの『晩鐘』の考古学的記憶の増大」、「夜のメクラグモ・・・希望!」、「ヴォルテールの見えない胸像」など彼の最も知られた作品たちにはこうした方法が用いられている。すなわち、二重(ダブル)イメージ、あるいは複数の読みを可能にするそれらの作品は、視覚のトリックを見せるためのものではなく、目の前にある世界は多様な読みができるということを暗示したものである。
さらに、彼の表現でよく知られた、溶け出すような柔らかな物質が描かれた「焼いたベーコンのある自画像」や「記憶の固執の崩壊」などは、20世紀前半のアーティストに興味を抱かせた非ユークリッド幾何学やアインシュタインらの新しい物理学の理論からイメージを発展させたものである。とりわけ、「時空の歪み」という考えは、多くのアーティストたちを刺激し、新しい表現を生み出させていった。溶けた時計など、ダリの柔らかな構造体もまたその一つであった。
いずれにせよ、ダリの表現はさまざまな意味を持って表されており、一枚の絵の中にある複数の読みを可能にしてくれる。そこには彼の本当の考えとは異なる読みも当然出てくる。しかしながら、彼自身はその読みもまた重要であり、見る側一人ひとりが一枚の絵を借りてそれぞれの内的世界を広げ、想像力に遊ぶことを望むとともに、それを見て自ら楽しんでいたのである。
今回展示される作品もまた細部を見ていけば、さまざまな発見があり、自由に読み取ることができる。現代の表現にたった一つの解答しかないということはない フだ。
東京造形大学教授 岡村多佳夫