湯川秀樹と朝永振一郎は、20世紀の物理学の発展を担った物理学者であり、大正から昭和にかけての約9年間、旧制第3高校から、京都大学、京都大学卒業直後の研究活動を共に過ごした学友であり、またライバルでした。
湯川は、“核力の理論に基づく中間子の予言”で日本最初のノーベル賞、朝永は“素粒子物理学を切り開く量子電気力学の構築”で、日本2番目のノーベル賞の栄誉に輝きました。
湯川のノーベル賞は、1949年日本が戦後の疲弊したなかでの快挙であり、多くの日本人に自信を与えました。湯川の研究は、原子核内部における斬新なアイデアに基づくものであり、その後の素粒子物理学の端緒を切り開く研究でした。湯川により予言された未知の素粒子であった中間子が、英国で1947年に発見された直後、湯川のノーベル賞が決まっています。
一方、朝永のノーベル賞は、1965年東京オリンピックの直後、高度成成長期が始まった頃でした。朝永の研究は、量子電気力学の共変的な定式化と、繰り込み理論の構築を行ったものであり、計算上現れる無限大を解消して、相対論と量子論を融合した基本理論を定式化したものです。この実験的な検証は、米国で1947年になされ、ノーベル賞の受賞へとつながりました。ノーベル賞の対象となった研究を湯川は1934年頃に、朝永は1942年頃から行いました。この頃、日本は、まだ発展途上にありましたが、両研究の考えや方法は、その後の広い物理学の世界に大きな影響を与えました。
歴史を把握することは、現在を正しく認識し、より良い未来を構築するために必須なことであります。湯川秀樹や朝永振一郎が、どのようにしてこれらの凄い研究を行ったかを振り返ることは、現在の我々に大変教訓的であると考えます。
今回の展示では、湯川と朝永に加えて、二人を旧制第3高校で教え大きな影響を与えた堀健夫と湯川と親交のあった中谷宇吉郎を振り返ります。
国立科学博物館、筑波大学、京都大学、大阪大学と続いた湯川-朝永展が、全国展示の一つとして装いを新たに開催され、湯川秀樹と朝永振一郎の若き日々、そして新たな道を切り開いた研究の道のりを札幌で容易にたどれることになりました。北海道の皆様が、この展示を通じて二人の巨星の足跡に思いを馳せていただければ幸いです。