多くの美人画が揃った展覧会。10月29日(火)からは後期展が始まり、多くの作品が展示替えされました。
第1章は「“美人画の時代”の系譜」。明和(1764-1772)期に生まれたフルカラーの浮世絵版画、錦絵。その立役者である鈴木春信は、美人画の名手でした。華奢で中性的な人物像は人気を博し、春信が没した後も多くの絵師が春信風美人を描いています。
続く安永期(1772-1781)に入ると、リアル志向が強まり、人物はやや長身で肉付きも良くなります。
独特の美人表現を確立したのが、天明期(1781-1789)の鳥居清長。春信風から脱却した八頭身の美人は、近代に「江戸のヴィーナス」と呼ばれるほど高く評価されました。
寛政期(1789-1801)の美人画といえば、喜多川歌麿です。全身像の他、大首絵でも美人画を描きました。ライバルといえる鳥文斎栄之は、清長美人の後継者。気品溢れる表現は、旗本出身の絵師ならではです。
2章は「浮世絵美人画をめぐる三つの視点」、黄金期美人画の特徴を探ります。
現代の目線で見ると、浮世絵の美人は皆が同じ顔に見えますが、歌麿の時代には描き分けも行われました。
寛政の美人として名高い二人は、すっきりと目尻が上がったのが、難波屋おきた。目尻が丸く膨らんでいるのが、高島おひさです。
また、受け手側も幅があります。浮世絵版画は大衆向けですが、肉筆は受注生産品。大名など、貴人からの依頼もありました。
次に描かれた人々について。女性だけでなく、美男子(若衆)もしばしば描かれました。ただ「若くて美しい」はお約束です。
これが春画になると、あらゆる容姿の人々が登場します。場面こそ絵空事ですが、性の営みにかけるエネルギーと歓びは、貴賤・老若・美醜を問いません。
3章は「わたしたちの浮世絵黄金期」。天明・寛政期が「黄金期」になった過程に迫ります。
浮世絵の出版は、明治維新の後も続きます。明治20年代になると江戸を回顧する風潮が広まり、歴史上の人物として黄金期の美人が表現されるようになっていきます。
浮世絵の流れを色濃く繋いだ近代の画家が、鏑木清方です。晩年には自ら「浮世絵末流」と署名し、春章や栄之に私淑しました。
さらに大正期の橋口五葉、そして関西の上村松園や北野恒富らも、浮世絵の延長線上にある美人画を作成しています。後の画家たちが天明・寛政期の美人像に倣った事で「黄金期」の位置付けが固まっていきました。
展覧会最後には、勝川春章「婦女風俗十二ヶ月図」(MOA美術館蔵)を、向井大祐氏が2017年に復元した作品があります。
原作は黄金期肉筆美人画を代表する名品ですが、1月と3月が欠損。屏風でしたが掛幅に変わっています。1月の図は、かつて鏑木清方が補うように勧められたものの、断念したというエピソードも伝わります。
今この時、俗世間=浮世を描いた浮世絵。現世の人が美人を求めるのは必定で、大衆の需要に応えるように浮世絵の美人画は大きく飛躍していきました。あらためてその魅力を、お楽しみいただけます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年10月30日 ]