源頼朝の父である源義明と平清盛が京都で激突した平治の乱。この戦争を絵画化した「平治物語絵巻」で、現存するのは3巻のみです。
今は目にすることができない「待賢門合戦巻」と「六波羅合戦巻」の様子を現在に伝える貴重な模本が初公開。遠山記念館で展覧会が開催中です。

遠山記念館入口 取材時はちょうど桜が満開でした
展覧会は、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」で注目を集めている中世武士の姿に焦点を当てた企画。目玉の絵巻のほかにも、さまざまな作品が並びます。
「石山切」は「西本願寺本三十六人集」の断簡です。展示されている貫之集は、当時を代表する能書家の一人、藤原定信によるもの。美しい料紙と流麗な書の融合が見ものです。

藤原定信《石山切 貫之集》平安時代 12世紀前半
初公開となる「平治物語絵巻」(模本)は、「待賢門合戦巻」一巻と「六波羅合戦絵巻」二巻という三巻組のセット。肥後狩野家最後の当主だった狩野養長(おさなが)が描きました。
「待賢門合戦巻」の原本は伊予国松山藩の松平家(久松家)に伝来しましたが、近代以降は所在不明。模本は原本の雰囲気をよく再現しています。

狩野養長《平治物語絵巻 待賢門合戦巻》(模本)江戸時代後期 19世紀
「六波羅合戦巻」も、原本は所在不明。本来は1巻の「六波羅合戦巻」が、展示されている摸本では上下2巻に分かれています。

狩野養長《平治物語絵巻 六波羅合戦巻》(模本)上 江戸時代後期 19世紀
本展では「六波羅合戦絵巻」の原本の断簡(個人蔵)も展示されています。
断簡は、昭和19年(1944)に発見された、14枚が納められた画帖の中の1点。軍勢を指揮する清盛が描かれた重要な場面です。模本と比べながらお楽しみください。

《平治物語絵巻 六波羅合戦巻》(断簡)鎌倉時代 13世紀

狩野養長《平治物語絵巻 六波羅合戦巻》(模本)上(部分)江戸時代後期 19世紀
下巻は、平清盛の号令の下、敗北を喫した源氏の郎党が無惨な最期を遂げる場面。折れた矢、弦が切れた弓、そして首を刎ねられた人々と、かなり凄惨な描写です。
清盛の鎧に用いられている群青などの絵の具は、非常に高価なものです。狩野養長が相当の熱意を持って制作に取り組んだ事が分かります。

狩野養長《平治物語絵巻 六波羅合戦巻》(模本)上(部分)江戸時代後期 19世紀
重要文化財《書状》は、源頼朝が伊勢にいる配下に対して、費用調達に関する命令を伝えたもの。
このような武家の書状は、右筆(ゆうひつ)と呼ばれる専門職が文章を書き、差出人が書くのは花押(かおう)だけ、というのが一般的ですが、この《書状》は、文面と花押の墨色や筆勢に差がないことから、頼朝の直筆である可能性が高く、さらに日付が書かれているため、歴史史料としても極めて重要です。

重要文化財 源頼朝《書状》文治3年(1187)11月9日
展覧会のもう一つの見どころが「源平武者絵」。江戸初期に土佐光起周辺の作家によって制作されたと考えられている扇面画で、根津美術館や徳川美術館にも同種の作品があります。
遠山記念館で36面が一度に公開されるのは初めて。小さな画面ですが、極めて精密な描写が見てとれます。

土佐派《源平武者絵》江戸時代前期 17世紀
このコーナーでご紹介するのは初めてなので、遠山記念館についてもご紹介しましょう。
遠山記念館は遠山邸と美術館からなり、前者は日興証券(現・SMBC日興証券)の創立者・遠山元一が、母の住まいとして建てたもの。後者は元一のコレクションを紹介する施設として昭和45年(1970)に建設されました。
昭和初期の近代和風建築の姿を今に伝える遠山邸は、2018年度に国の重要文化財に指定されました。遠山美術館も早稲田大学出身の建築家・今井兼次による設計で、独特の意匠を目当てに訪れる建築ファンも多いと聞きました。

遠山邸は国の重要文化財。庭園も見事です。

美術館の館内
遠山記念館がある埼玉県比企郡も、源平合戦とは縁がある場所です。
比企の名は、この界隈を治めていた鎌倉幕府の有力御家人・比企氏から。「鎌倉殿の13人」では比企能員を佐藤二郎が熱演しています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年4月1日 ]