暗褐色を主調とする硬質のマティエールで、独特の人物像を描き続けた鴨居玲(1928-85)が没して、はや20年の歳月が経ちました。鴨居の生涯を振り返ると、まさに昭和の戦後を駆け抜けた画家ということができます。
鴨居は、北国毎日新聞社の記者であった父の任地・金沢に生まれました(一説によると、1927年大阪府生まれ)。太平洋戦争後まもなく創設された金沢市立美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)に第一期生として入学し、宮本三郎(1905-1974)に師事。宮本が実質的な指導者であった二紀会の会員に在学中に推挙され、画家としての第1歩を踏み出します。卒業後は関西に舞台を移し、さらに南米、ヨーロッパを遍歴した後、1969年、《静止した刻》で第12回安井賞を受賞して華やかな画壇デビューを飾りましたが、ひとところに安住することを良しとしなかった鴨居は、再び渡欧し、スペインとパリを制作の場に選びました。なかでも、スペインのラ・マンチャ地方の小都市、画家自身が「私の村」と称したバルデペーニャスでの暮らしのなかから生まれた“酔っぱらい”をはじめとする作品群は、鴨居の仕事の白眉といいうるものになっています。1977年の帰国後は、神戸に居を定めて生涯の代表作《1982年 私》などを制作、1985年に急逝するまで、壮絶な制作活動が続けられました。
鴨居の作品は、常に自身との妥協のない対峙から生まれたといっても過言ではありません。同世代の美術批評家・坂崎乙郎は、鴨居を評して「自己を見守る不屈なまでの客観性が彼を日本でただ一人と呼んでもよい本質的な制作者たらしめている」と記しましたが、鴨居は自己を描くことで、生と死、神の存在と不在、老いと孤独、人生の不安、絶望といった、人間の普遍的な問題でありながら多くの人びとが避けようとするテーマを、厳しく時にユーモアを交えて描出しました。
鴨居は生前、ひろしま美術館の雰囲気を好み、ティールームのテラスでしばしの時を過ごしたこともあります。今回の没後20年を記念する展覧会は、幼児から青春期を過ごした金沢、後半生の主要な制作の場・神戸、敬愛する父の故郷・長崎県-と画家にゆかりの深い地の美術館で開催されるもので、未発表の作品を含む生涯の代表作およそ110点が展示されます。その卓越した技量を味わっていただくとともに、多くのものを見失いがちな現代、再び鴨居の問いかけたものを共有するひとときを持っていただけれ�幸いです。