江戸初期の元和・寛永年間(1615~43)には、活発な海外との交易によって、様々な陶磁器が日本にもたらされました。
古染付とよばれている青花磁器(呉須で文様を描いた後に施釉・焼成した釉下彩磁器)は、このころを代表する輸入磁器です。古染付は、中国・明代末期の天啓年間(1621~27)に江西省景徳鎮の民窯でつくられたもので、成形や高台の削り、また釉下に呉須で描いた文様の手慣れた筆遣いなど、粗野ともいえる仕上がり具合が、同じ景徳鎮でもこれらに先立つ時期に官窯で生産された精品とは全く違った趣をもっています。しかも、古染付は日本の茶人から受注した輸出用もしくは日用雑器として量産されたものらしく、従来の中国陶磁の伝統にはない奇抜な形態や奔放な絵付けのものがかなりな数伝わっています。これらのことから、日中間を結んだ商人たちのたくましさのみならず、当時の景徳鎮の民間陶工たちの造形力の寛さや技術力の高さをうかがい知ることもできるのです。
今回は、伸びやかな筆づかいで描かれた、古染付や天啓赤絵(古染付を下地にして、赤・緑・黄・黒の色料を上絵付けしたもの)の自由奔放な文様で装飾された器皿にあらわれた、わずか7年間という天啓期における造形感覚を通して民窯というもう一つの景徳鎮を紹介します。