坂田一男は1889年、岡山生まれ。画家を志して上京し、岡田三郎助や藤島武二のもとで学びました。1921年にフランスに渡り、本格的に画家としての道を歩み始めます。
フランスでは、最先端の芸術運動だったキュビスムのフェルナン・レジェに師事。さらに、キュビスムを超える「ピュリスム」を提唱していたアメデ・オザンファンらとも交友し、絵画の本質を追求していきます。
フランスでは複数のサロンの会員になるなど、第一線で活躍。この時期に本場の美術を身につけた日本人画家として、稀有な存在といえます。
1933年に帰国。世相は戦争に突き進んでいく不幸な時代ですが、坂田の画業は深化を続けていきます。
この時期の坂田の作品にしばしば登場するのが、手榴弾。外界に抵抗しながらも自らを律し、破局に至る寸前で踏み留まっているかのようです。
坂田の創作にとって大きな出来事となったのが、1944年の水害。海抜の低い干拓地にあったアトリエが冠水し、多くの作品が被害を受けました(1954年にも水害に遭っています)。
1934年制作の《静物Ⅰ》《静物Ⅱ》も被害を受けた作品で、絵の具の破片を集めて修復したもの。ただ坂田は「被災からの修復」を、自らの創作に取り入れていきます。
1949年の《エスキース》は、まさにエスキース=本画を制作する前の下絵であるにも関わらず、絵具が剥落した様子が描写されています。被災と修復の逆転が、意図的に組み込まれている事になります。
戦後の坂田は、スリットのような形を縞模様に配置し「スリット絵画」を制作。縞の重なりは、時間の積層ともとらえられます。
展覧会には坂田以外の作品も展示。坂本繁二郎は‘事物への探求’、ジョルジョ・モランディは‘トポロジカルな空間操作’、ジャスパー・ジョーンズは‘異なる時間の積層’に、坂田の作品との類似性を見出しています。
会場後半には、スケッチなど大量の資料も展示されています。展覧会の準備中に発見された渡仏期のスケッチからは、墨で塗りつぶされたような部分に、詳細な日本の風景が描かれている事も見つかりました。今後の研究も期待されます。
生前「ワシの絵は50年経ったら分かるようになる」と語っていた坂田。没後60年を過ぎ、時代は坂田の意図に追いついたでしょうか。近代美術史研究者でもある造形作家の岡﨑乾二郎さんを監修者に招いて実現した展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年12月6日 ]