彫刻家としてだけでなく公園設計や舞台美術などでも活躍したイサム・ノグチと、日本における抽象絵画の先駆者・長谷川三郎。イサム・ノグチの展覧会は何度も開催されていますが、ふたりの関係を主軸にした展覧会は初めての試みです。
長谷川三郎は1906年、山口県生まれ。小出楢重に油彩を学び、東京帝国大学では美術史を専攻。1936年から抽象的作品を描きはじめ、「自由美術家協会」の創立に関与。日本の前衛美術を牽引した一人です。
一方のイサム・ノグチは1904年、ロサンゼルス生まれ。幼少期を日本で過ごした後、13歳で単身渡米。ブランクーシの助手を経て、1929年からニューヨークを拠点に彫刻家として活動をはじめました。
1950年、ノグチは19年ぶりに来日。猪熊弦一郎(画家)、丹下健三(建築家)、剣持勇(デザイナー)ら多くの芸術家と交遊を持ちましたが、特に意義深かったといえるのが、長谷川三郎との出会いです。
「古い東洋と新しい西洋」の関係に関心を抱いていたノグチと長谷川は、すっかり意気投合。日本美の本質を見極めるため、ふたりは連れ添って京都、大阪、奈良、伊勢を旅行しました。この旅行はノグチの活動に大きな影響を与えるとともに、長谷川にとっても日本美を再発見するきっかけとなりました。
ふたりが交友を深めた1950年の日本は、連合国軍の占領下。日本の伝統を評価する動きは難しい時代でしたが、ふたりは臆する事なく「古い日本」の美に着目。単なる懐古趣味ではなく、当時求められていた抽象の精神を、日本の伝統の中から見出そうとしました。
ノグチは日本で創作活動をはじめ、北大路魯山人の窯を自由に使う事を許された事から、陶芸に没頭。光の彫刻〈あかり〉シリーズも、この時期に誕生しました。
一方の長谷川も、ノグチとの出会いがきっかけになって、芸術の国際交流の場で活躍する事となります。渡米してMoMAで講演、デュシャと交友、個展の開催と精力的に活動を続けますが、癌のため客死。わずか50歳でした。
会場冒頭に展示されているノグチの作品は、その名も《雪舟》。ノグチは長谷川が所有する雪舟作《山水長巻》(複製)を見せてもらい、感服した経験がありました。前年に病没した親友へのオマージュ作品といえます。
敵対する日本と米国に生まれた長谷川とノグチですが、互いの文化を尊重しあいながら、ともに自身を高めあっていきました。ふたりの広い視野と自由な精神は、隣国との関係にも苦慮している私たちの胸に響きます。
展覧会は、イサム・ノグチ財団・庭園美術館(ニューヨーク)と横浜美術館による共同企画展。横浜展の後には、ノグチ美術館(ニューヨーク)、アジア美術館(サンフランシスコ)と米国の2館に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年1月11日 ]