日本のモダンデザインの父と呼ばれる、グラフィックデザイナー・今竹七郎(1905~2000年)の展覧会が西宮市大谷記念美術館で開催中です。
西宮市大谷記念美術館
「どこの誰だか知らないが。そのデザイン!誰もがみんな知っている。」というキャッチコピー通り、名前を聞いてピンとくる方は多くないかもしれません。
輪ゴム「オーバンド」の黄色と茶色のパッケージやメンソレータムのナース…と言われれば、見たことがあるのではないでしょう。これらをデザインしたのが今竹七郎です。
会場入口
展覧会では、グラフィックデザインや商品パッケージのほか、絵画作品も展示し、今竹の功績をたどっていきます。
1927年、22歳の時に神戸大丸・意匠部に入社した今竹は、店内装飾や催事、広告などを担当します。海外雑誌や当時の流行りの竹下夢二風のデザインに影響を受けていたことが感じられます。
4年後の1931年に大阪高島屋へ転職。活動拠点を神戸から大阪へ移します。
1930年当時、東京を抜き日本一の人口を誇った大阪。近代都市へ変貌を遂げていく大阪で神戸で培ったモダンなデザインを取り入れたデザインを発表すると、一躍売れっ子デザイナーとなります。
シンプルなデザインと単純化されたモチーフ。中でも福田源商店の仕事は高く評価され、戦前の代表作と言えます。
戦後は自身のスタジオを開設。住友銀行が全国の銀行に先駆けて宣伝業務を開始し、今竹はアートディレクターとして活躍。以後、東レや住友化学、新日本電気(NEC)の広告や、関西電力のシンボルマークを手がけていきます。
1951年にデザインした「オーバンド」は2013年にグッドデザイン賞を受賞します。“誰もがみんな知っている”ロングライフのデザインを生み出してきました。
神戸で生まれた今竹は、34歳で西宮市に転居。1956年には、西宮市が発行する広報誌のデザインを手がけ、晩年には夙川エリアのシンボルマークもデザイン。1970年には西宮市文化賞を受賞しています。
「入店嘆願書をグラフィック風に作り上げ郵送したところ即座採用された」と、大丸の入社について回想するように、類まれなセンスと才能をもった今竹ですが、美術教育を受けてきた訳ではありませんでした。
最終章では、向上心あふれる今竹が制作した絵画作品を展示しています。
1931年に独立美術協会の林重義に師事、作品を発表していきます。40年代まで写実的な表現で作品を描きますが、50年代に入ると抽象的な表現となります。晩年には「虚像と実像」「モナリザ」というテーマでアンフェルメルな表現もしていきました。
戦前から戦後にかけて数々のデザインを生み出してきた今竹七郎。
会期は12月6日までと残りわずかですが、今竹の多彩さを実感し、“どこの誰だか知らないが”ではなくなる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:坂入美彩子 / 2020年10月29日 ]